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呉羽梨の慈父(2)

呉羽梨と土池弥次郎氏
昭和時 代②
第二次世界大戦中は食糧増産のため梨の木が強制伐採され栽培面積を大きく減少させた。(この頃の栽培面積、30ヘクタール)
これら土池弥次郎氏の業績は、戦後にも受け継がれ着実に呉羽梨の産地として評価され、特に大阪方面から需要の拡大を得た。
土池弥次郎氏は、昭和12年、大日本農業会議より「農事改良功労者」、富山県知事より「園芸功労者」の表彰を受け、昭和30年、84歳で梨一路の生涯を閉じた。
土池弥次郎氏の亡き後の「呉羽梨」は、昭和46年から国の稲作転換事業に伴い、農道整備、果樹棚改良、畑地灌漑、排水、選果場建設など多くの事業と多額の投資が行われた。これら効率的な共同営農と優秀な品質が認められ栽培面積も急増し、昭和50年「全国朝日農業賞」に輝いた。(370戸の農家で200ヘクタール)
平成時代
平成2年、栽培面積230ヘクタール、出荷量5067トンと、最盛期時代を迎え、共選・共販30周年記念式が行われた。
平成24年3月に新たな選果ラインを整備、光センサーや箱詰めロボットなどを導入し、品質性、省力性をさらに向上させた。
令和時代
主な品種は、「幸水」「豊水」「あきづき」「新高」で、栽培面積が135ヘクタール、出荷量、3500トンとなっている。特に「幸水」は栽培面積の7割を占め、甘味が強く、果汁豊富、シャキシャキした歯ざわりが特徴で抜群な人気があり、県内はもとより、大阪・京都・名古屋等へ出荷されている。
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